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そもそも日本語には「イノベーション」に該当する言葉が存在せず、「技術革新」と混同されやすい。「この誤解によって、国内の現場で数多くの機会が失われています」と話すのは、東京大学生産技術研究所の野城智也教授だ。現代のイノベーションを成功させるためには、まずはその本質を理解し、ゴールに向けてプロセスを進めていくためのマネジメント能力が必要になるという。野城教授が提唱する、SCM(サプライチェーンマネジメント)をはじめとするさまざまな業界に通じる「イノベーションの方法論」とはどのようなものなのか。

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野城智也(やしろともなり)

1957年東京都生まれ。専門である建築学をベースに、サステナブル建築、イノベーションのマネジメントに関する研究を展開する。2001年に東京大学生産技術研究所教授に就任。過去に東京大学生産技術研究所所長、東京大学副学長を歴任する。主な著書に『イノベーション・マネジメント:プロセス・組織の構造化から考える』など。

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イノベーションとは「発明」が社会に作用すること

――野城教授は著書『イノベーション・マネジメント:プロセス・組織の構造化から考える』の中で、イノベーションに対する社会常識を変えることの必要性を説かれています。まずはイノベーションという言葉の定義について教えてください。

野城:大前提として伝えたいのは、技術革新とイノベーションはまったく別の概念であるということです。カタカナ語ではわかりにくいので、これまで私は「変革」と言い換えてきましたが、ややニュアンスが異なります。最近になって中国で「創新」という言葉に翻訳されているのを見て、まさにこれだと感じました。

イノベーションとは、「新しい何か」の出現によって社会が大きく変わる現象を指します。徐々に変わるのではなく、あるときを境にして以前とは違うものになるという「非連続的」な変化です。この意味付けをしたのは、20世紀前半に活躍したオーストリア出身の経済学者、ヨーゼフ・シュンペーターです。

――「新しい何か」とは何でしょうか。

野城:シュンペーターの著書では「新しい組み合わせ」と記されています。

これにはさまざまな契機があり、その1つとして技術革新が挙げられます。例えば、新幹線の登場です。それまでは鉄道を使って東京から大阪まで8時間以上かけて移動していたのが、1964年の開業当時は約4時間、翌年にはわずか3時間強の所要時間に短縮されました。

すると人々の生活も変化します。大阪といえば泊まりがけで行く場所でしたが、午前中は大阪の会議に出席して、午後には東京の業務に戻り、夜にはまた関西に行くといったことも新幹線のおかげで可能になったのです。さらに、単身赴任や国内旅行の重みも変わっていきました。

このケースにおいてイノベーションという言葉が指すのは、新幹線という新たなテクノロジーが生まれたことではなく、それによって人々の出張や旅行のスタイルが変わり「社会が変化した」という結果です。

――技術革新はイノベーションのきっかけにすぎないということですか。

野城:イノベーションの引き金となる「発明」の要素は、技術革新だけとは限りません。例えば1979年に発売された、ソニーのウォークマンがあります。当時すでに販売されていたテープレコーダーから録音機能を取り除き、ステレオ音質に改良したものでした。技術的に見れば決して目新しくはありません。

しかし、機能を縮約して小型化した製品の開発によって、それまで固定した場所で楽しむものであった音楽が、個人が持ち歩けるものに変わったのです。これは「意味の発明」と呼ばれます。音楽に「持ち歩く」という新しい意味を作ったことによって、ライフスタイルを変えたのです。

こうした技術革新を要さないイノベーションの事例は数多くあります。それは逆に考えると、どんなにすばらしい技術革新があったとしても、それが社会を変えなければ「イノベーションが成功した」とは言えないということです。しかし特に日本では、どうしても技術革新とセットで考えられてしまいがちです。残念ながらそのせいで、イノベーションの機会や感性が損なわれていると感じます。

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インタビューに応じる野城教授
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東京大学生産技術研究所の野城智也教授
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イノベーションのプロセスを把握するための「IPMモデル」

――「イノベーションへの感性」についてもう少し詳しく教えてください。

野城:私は著書の中で「豊益潤福」という造語を使って説明しています。豊(豊かさ)、益(便利さ)、潤(潤い)、福(幸福感)の4字で構成されており、イノベーションとはこれらのいずれかを満たそうとする発想から生まれます。豊かさや便利さというのはいわゆる物理的な充足です。新幹線のイノベーションはその代表例です。それに対して、潤いや幸福感はもっと精神的なものです。

例えばSNSの登場によって、若い世代のライフスタイルが変わりました。昔はファッション好きな人はたくさんの洋服でクローゼットをいっぱいにしたものですが、今では一度SNSに服の写真を投稿したらもう満足して、買ってすぐにフリマアプリで売ってしまうような人も増えました。所有から共有へと価値がシフトしたわけです。ベースとしてはテクノロジーの発展による利便性の向上がありますが、このイノベーションが起こった要因を考えると、SNS上での自己実現や、他人とつながることによる精神的な充足感が影響していると考えられます。

世の中を変える何かを起こそうとするとき、人はつい豊かさや便利さの充足に目がいってしまいがちで、特に、日本は「精神的な充足」を目的としたイノベーションへの感性が弱いと感じています。だからイノベーション=技術革新だと勘違いして、いつまでも新しい機能だけを追い求めてしまう。これでは自らの可能性を狭めてしまいます。精神的な充足からなるイノベーションも現実に起こっているのですから、本来は「豊益潤福」のどれを発想の出発点にしても構わないのです。

――イノベーションが起こるプロセスの共通認識として、野城教授は「イノベーション・プロセス・メタモデル」(以下、IPMモデル)を提唱されています。この内容について教えてください。

野城:8つのポイント(長方形)と2つの効果(楕円)を元に、イノベーションが起こるまでのサイクルを可視化できるようにしたものです。2つのことを伝えるためにこのモデルを作りました。

1つ目は、8つのポイントのどこからでもイノベーションが始まる可能性があるということ。イノベーションには多種多様な始まり方があります。新幹線のような「技術の発明」や、ウォークマンなどの「意味の発明」、あるいは製品の使い方を変えたことによって予想外の価値が生まれた事例もあります。アメリカの化学メーカー「3M」で、接着剤の失敗作を元に開発された「ポスト・イット」が代表例です。

2つ目は、イノベーションのプロセスは行ったり来たりを繰り返す「循環式」であるということです。すべてのポイントは輪のようにつながり、またそれぞれのポイント同士も矢印でつながっています。過去に成功したイノベーションの事例をIPMモデルに当てはめると、何度もまわり続けながら結果的に社会を変えたのだとわかります。

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「イノベーション・プロセス・メタモデル」の概念図
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「イノベーション・プロセス・メタモデル」の概念図
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――行ったり来たりとは、具体的にはどういった状態でしょうか。

野城:例えば、ヤマト運輸(当時は大和運輸)が始めた宅急便の小口輸送があります。

それまでは小口輸送といえば郵便か鉄道を利用したものが主流でした。そんななか、1976年に個人が簡単に利用できる小口荷物輸送のサービスが始まり、大きなイノベーションが起こりました。その後、「希望日時に荷物を届ける」という配送へのユーザーのニーズが高度になったことを背景に、「レビュー・見直し」のポイントに立ち戻って新たな課題を特定した結果、早朝または午前中に発注すれば当日中に荷物が届くという「即日配達」を実現する物流マネジメントシステムが生み出されました。循環のプロセスによって、さらなるイノベーションにつながったのです。

もちろん、最初のイノベーションが成功するまでに何度もポイントを行き来するケースも多々あります。新しい変化を起こすまでは、うまくいくことばかりではない。試作と失敗を繰り返し、レビューからの改善を行い、プロセスをまわしながら少しずつ価値を高めていきます。

最も重要なのは、この過程をどのようにとらえるかで、イノベーションの可能性はまったく違ったものになるということです。組織においてはこれが非常に難しい。一度、次のステージに進んだ後で前のステージに戻ると、上司が「お前は何をやっているのか」と、報告書を求めてくるようなことがよく起こります。ダイナミックなプロセスの渦中にいる人に対して逐一こんなことをしていては、社会を変えるような大きな成功に結びつくはずがありません。社会全体としてイノベーションのプロセスへの基本認識を改めることが必要です。

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インタビューに応じる野城教授
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東京大学生産技術研究所の野城智也教授
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現代のイノベーションには「プロセスの循環」が不可欠

――イノベーションのプロセスは時代と共に変化しているのですか。

野城:18世紀後半の産業革命から20世紀にかけては、テクノロジーの進歩によって世の中が塗り変わるような事例が多くありました。蒸気機関をはじめ、鉄鋼、重工業、大量生産システムなど、発明それ自体が持つインパクトが圧倒的だったのです。1つの発明がそのまま社会に広まっていくという一直線のイノベーションです。最近ではiPS細胞の発見がこれに近い。

それに対して、21世紀のイノベーションはより複雑化しています。理由は2点あって、1つはイノベーションが起こる構造が複雑になっています。1人の偉大な発明家が新しい製品やサービスを生み出せるケースはもはや少ない。今はさまざまな分野、ポジションの人たちが分業的に開発に携わり、成果を積み重ねてゴールに近づけていくというスタイルになっています。

もう1つは、「作る側」と「使う側」の境目がなくなってきていることです。例えば医療機器の分野では、医者や検査技師がユーザー組合を作って機器の開発に取り組んでいる例もあります。この変化の要因としては、まずユーザー側にノウハウが蓄積されてきたことがあります。医療現場において何が必要なのかを本当に理解しているのは、機器メーカーではなく専門家ユーザーです。加えて、ICTの発展によってユーザー同士の連携が容易になり、さらに3Dプリンターなどの個人レベルで製作できる手段も出てきています。そのため、高い専門性が必要とされる分野ほど、ユーザー発のイノベーションが起こりやすくなっている状況です。

――複雑化しているために、IPMモデルでプロセスを管理する必要があるのですね。

野城:21世紀におけるイノベーションのプロセスは、さまざまな営みが集積するプロセスです。プロセスが循環することを前提として、それをポジティブにも受け止めなければなりません。戻りながらも前に進み、戻るごとに進化させるには何をすればいいのか。そのことを真剣に考えるのがイノベーション・マネジメントで、イノベーションを成功に導くには不可欠な要素です。

また近年、デジタル化などが契機になってイノベーションが次々と起こっていることも大きな特徴です。実際にICTイノベーションの現場ではどのようにしてプロセスが進んでいるのか、次にIPMモデルをもとに見ていきましょう。

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東京大学生産技術研究所の野城智也教授によれば、イノベーションを単に「技術革新」と捉えやすい日本国内では、それにより現場で数多くの機会が失われているという。野城教授が提唱する、SCM(サプライチェーンマネジメント)をはじめとするさまざまな業界に通じる「イノベーションの方法論」について聞いた。
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イノベーションの意識改革「IPMモデル」の活用で、プロセス循環の価値を考える
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イノベーションの意識改革「IPMモデル」の活用で、プロセス循環の価値を考える
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取材・文:小村トリコ(POWER NEWS)、写真:山﨑美津留