「デザイン」が対象とする領域が拡大し、ビジネスの現場で注目されている。組織のカルチャーを変えていくために「デザイン」が果たす役割とは。そのヒントを探るために、「共創する自動車保険 &e(アンディー)」のサービスデザインを設計し、社内のカルチャー改革にも挑んでいるイーデザイン損保の田屋和美氏にお話を伺った。聞き手はパナソニック コネクト デザイン&マーケティング本部 ストラテジーデザイン部の酒井将史が務めた。
田屋 和美
イーデザイン損害保険株式会社 お客さまサポート部 業務グループ エキスパート お客さま体験統括
米国やイタリアで芸術、建築、デザインを学んだ後、デジタル領域におけるデザイナーとしてのキャリアをスタート。デザイン思考をベースとした広義のデザインを武器に、制作会社、スタートアップ企業、事業会社、デザインコンサルティング会社などでの経験を経て、2021年5月にイーデザイン損保に参画。よりよいお客さま体験を追求していく全社のCX(顧客体験)の統括として、CXリサーチチームの発足やリブランディングなど横断的に様々なプロジェクトに携わる。現在は、お客さま基点による共創の取り組みとして、社内組織横断での浸透活動や、顧客への施策推進など、UX/CX/EXの改善・向上に取り組んでいる。※所属については取材当時(2023年7月時点)のもの
酒井 将史
パナソニック コネクト株式会社 デザイン&マーケティング本部 ストラテジーデザイン部 デザインディレクター 兼 ストラテジーデザイン課 マネージャー
大学卒業後、車載専業メーカにてプロダクトデザイン、GUIデザインに従事。その後、パナソニックにてカーナビゲーションやスマートフォンのGUIデザイン担当を経て、UX起点でサービスや事業をデザインするサービスデザインチームの創立を推進。現在、パナソニック コネクトで、プロダクト(ハード/ソフト)、サービス、ブランドなど、多様な価値を創出するデザイン職能のリーダーとして、デザイン組織変革に取り組む。※所属については取材当時(2023年7月時点)のもの
自動車保険「&e(アンディー)」から紐解く“お客さま志向”のカルチャー改革
酒井:お久しぶりです。いま、田屋さんは「お客さまサポート部」に所属されているんですね? 以前、イベントでご一緒したときは「CX推進部」だったと記憶しているのですが。
田屋:今年の4月に異動になりました。イーデザイン損保に入社したのが2年前。ちょうど会社が、「マーケットよりも、お客さまをちゃんと見ていこう」という“お客さま志向”のカルチャー改革に本腰を入れ始めた時期です。それで「マーケティング部」が「CX推進部」に名称変更して、私はそのリーダーとして、CX(お客さま体験)の重要性を会社全体に浸透させるためのさまざまな取り組みを行ってきました。
そして、今年度から第2フェーズに入り、CXを起点とした具体的なサービスや商品の開発を推進しています。まずは、お客さまと相対する機会が多い「お客さまサポート部」に私自身が異動して、いまはCXを軸にした開発手法とマインドセットを根付かせようと、メンバーとともに活動しているところです。
酒井:田屋さんといえば、「共創する自動車保険 &e(アンディー)」という大きな実績がありますよね。あらためてどんなサービスなのか、教えていただけますか?
田屋:「共創する自動車保険 &e(アンディー)」は、「事故のない世界をみんなでつくる」をコンセプトに生まれた自動車保険です。
田屋:「&e」では、お客さまの運転データを軸として、街や行政のデータ、企業のデータなどを組み合わせ、「事故そのものを減らす」ことに取り組んでいます。契約者の方が、意識せずとも友人や家族、そして社会に“安全運転の輪”を広げ、「いつの間にかソーシャルグッドなことをしていたんだ!」と思ってもらえるサービスを目指しました。ちなみに、“アンディー”という名前は、実は犬をイメージしていて。愛犬のようにいつも契約者に寄り添って、時には支えるような存在でありたい。そんな願いを込めています。
酒井:これまでの自動車保険にはない、新たなコンセプトのサービスですよね。実際、どのようなプロセスでサービスを実現されたのでしょうか?
田屋:出発点は、「自動車保険ってどれも同じだよね?」というお客さまからのご意見です。「それなら、これまでにない、新しいお客さま志向の保険をつくろうじゃないか」と。その際に活用したのが、これまで自分が培ってきたデザインの視点です。まずはじめに、全社横断で各部署のメンバーを集めて、「本当にお客さんに提供すべき価値は何か?」というテーマでディスカッションしました。それをもとにデザイン思考のフレームワークなどを用いて導き出されたのが「事故のない世界をお客さまと共創する」というコンセプトです。
そして、そのコンセプトをより明確にお客さまへお伝えするために取り掛かったのが、キービジュアルの制作です。安心・安全で、ちょっと未来の近しい存在。事故のない世界をお客さまと“共創”できるサービス。そんなイメージを視覚化するのに苦労しましたが、「近未来の街」でうまく表現することができました。これはブランドサイトでも使用しており、「これまでの保険のイメージと違う!」と好評で、とくに30代の若い世代の方々の加入に貢献しているようです。社会とつながれる保険であることが、ちゃんとお客さまにも伝わっているようでうれしいですね。
酒井:やっぱり、何か新しいプロジェクトを始めるときには、コンセプトを可視化して、メンバーと共有することがすごく大切だと思います。人間って、些細なことですぐブレてしまうので、そういうときに「原点=コンセプト」に立ち戻らせてくれる“目に見える何か”があるといいですよね。
田屋:そうですね。それをリーダーが用意することで、社内のみんなが同じ方向を目指して活動できます。コンセプトの視覚化という機能だけでなく、カルチャー改革によって目指すビジョンを描くという意味でも「視覚化」の力は発揮されると思いますね。
カルチャー改革の一歩目は、お客さまを“線”で理解すること
田屋:ところで、酒井さんのところも最近、社内体制が変わったんですよね?
酒井:そうです。パナソニック コネクトは、2023年4月1日付けで製品やサービスのデザインを行う「デザイン部門」と、ブランディングや需要創出などを担当する「マーケティング部門」が統合されました。実はこれまでデザイン部門は、「この予算内でデザインしてください」というように、どちらかというと相談されてから仕事をすることが多かったんですね。今回、マーケティング部門と一緒になったことで、より企画段階から製品、サービスの開発に携われるようになりました。
酒井:この再編の根底にあるのはやはり「顧客起点」で、「デザイナーも、マーケターもお客さまを向いて、一緒に物事を進めていくぞ」というコネクトの意思表示でもあります。デザイン&マーケティング本部が、「顧客起点」のマインドを会社全体に波及させていきたいと考えています。「顧客起点」と「お客さま志向」という言葉の違いこそありますが、やろうとしていることは田屋さんと同じですね。
田屋さんが社内で「お客さま志向」の理解を深めるために、具体的に取り組まれていることがあれば教えてください。
田屋:昨年度まで、各地の拠点でワークショップを開催していました。保険契約に関するお客さまの一連の行動をリサーチして可視化。それを1枚の巨大な「ジャーニーマップ」にして、みんなで見ながら、お客さまの一連の行動や感情などの体験を理解し、価値提供のチャンスがどこにあるのかを話しあうというものです。
田屋:やっぱり、一口に“お客さま”といっても、カスタマーサポートから見えるお客さま、事故対応サポートから見えるお客さま、プロダクト開発に携わるメンバーから見えるお客さま……それぞれ全然違うんですよ。このワークショップを行うことで、部門を超えて共通の“お客さま像”をもつことができます。そのうえで、イーデザイン損保としてどんな価値を提供できるのかをみんなで考える。そうやって、“お客さま志向”のマインドセットを浸透させていきました。
酒井:“お客さま志向”を自分ゴトとして捉えてもらうための、いい取り組みですね。
田屋:はい。お客さまを“点”で見ちゃうと、本当にバラバラ。そうではなくて、まず“線”で可視化して、ちゃんとお客さまを理解できる仕組みを用意する。そして、その内容を常に社内に発信つづける人を配置する。お客さま志向のカルチャーに変えていくためには、それが大切だと思います。
酒井:あとは現場に足を運んで、お客さまの姿を自分の目で見ることも大事ですよね。お客さまの困りごとを直に聞けば、やっぱり一緒に解決したくなる。自分ゴトになって、本気でお客さまと向き合いたいと思うようになります。
でも、現実的にはすべての部門の人が現場に足を運べるわけではないので、カスタマーサポートや営業、僕らデザイナーには、お客さまの代弁者となって生の声を伝える役目があるのかなと思いますね。
田屋:外部のコンサルなどにお願いしてユーザーインタビューを行っている会社もありますが、それはもったいないと思っていて。社内の事業の専門的な知識を持った人が、仮説を立てながら実際にお客さまにインタビューすることで、より深い話、つまりお客さまのインサイト(潜在的な欲求)を引き出すことができる。社員自ら現場に足を運んで、そのインサイトを現場で話し合って理解を深め、そして結果を持ち帰ってそれぞれの部署など全社へ共有する。それを続けることが重要だと思いますね。
酒井:“仮説”とは、どういうものですか?
田屋:お客さまがどのような感情を持って、どのような行動をしていて、何を望んでいるのかの想定です。ユーザーインタビューは、いかに事前に精度の高い仮説を立てられるかがカギで、それができるのは、やはり社内の人間だと思います。業界の動向や自社の商品開発状況などについて熟知している人が、お客さまにインタビューすることで、より建設的な話ができる。
仮説を検証して、今後のサービス開発などに活かすことができると思います。その“仮説”づくりにも先ほどのジャーニーマップが役立っていますね。
正解のない時代に必要な「評価制度」と「企業カルチャー」とは?
酒井:カルチャー改革を進めるうえで、いま直面している課題はありますか?
田屋:評価制度ですね。カルチャー改革と評価制度は表裏一体だと思っています。
“お客さま志向のものづくり”って、技術や知識だけでなく、“人間力”みたいなものも求められると思うんですね。人を巻き込む力、突飛なアイデアを思いつく力……そうしたジョブディスクリプションや評価項目にはない、いわば“余白の力”をちゃんと評価しなければいけないと思うんですが、それがなかなか……。
酒井:デザイナーはまさにそうですよね。技術や知識といった指標化しやすい能力と、これまで個人が積み上げてきた多様なクリエイティブ力や個性などが組み合わさって、大きな武器になる。それをどう汲み取って、適切に評価に繋げるのかは、私も少し悩んでいるところです。
酒井:僕は“顧客起点”のカルチャーが会社に浸透するということは、全員が「デザインの視点」をもつことだと思うんですよね。さっき田屋さんがおっしゃった“仮説を立てる”というのは、デザイナーが得意なところで、手を動かせる部分です。ラフスケッチでも概念図でもなんでもいいんですけど、自分の考えを視覚化するというのは、“共創”の第一歩だと思うんですね。
それを見ながら、あれこれみんなでディスカッションすれば、考えが磨かれるし、「今度、このアイデアをお客さまに提案してみよう」という話になるかもしれない。未来志向で話が進むんですよ。
田屋:わかります。仮説を立てて検証するって、デザイナーが日常的にやっていることですよね。
酒井:いまのビジネスって正解がないですから、バージョン0.1のアイデアをみんなで出し合って、正解を探っていくということが大事だと思うんですね。「間違ったことは言いたくない」「自分の意見を否定されるのが怖い」と思い、一人で正解を出そうとする方も少なくありません。
田屋:最初から、正解なんて求めてないですよね。でも、そういう考えに陥ってしまう背景には、「失敗に厳しい」という日本企業に根付くカルチャーの影響もあると思います。
私自身、失敗の連続でここまでやってきました。失敗したこと、できないことをちゃんと周りに伝えてお互いに理解することがすごく大切だと思いますね。そうすると、必ず誰かが助けてくれる。みんなで一緒にものをつくるってことは、そういうことなんだと思います。
酒井:失敗を言いやすい雰囲気をつくるのも大切ですね。
ジャーニーマップの作成、多様なクリエイティブ力の評価、失敗を許す雰囲気づくり……これからのカルチャーを醸成するためのヒントをたくさんいただいた気がします。デザイナーの存在意義もあらためて確認できました。今後も、従業員が活躍しやすい環境を整備して、“顧客起点”のものづくりを社内に浸透させていきたいと思います。
田屋:こちらこそ、ありがとうございました。私も“お客さま志向”のカルチャー改革を引き続き頑張っていきます。